時空の定規シリーズ
今回の作品は、小倉百人一首に登場する「ま」や「間」の表現から着想を得て制作した。
小倉百人一首には、以下の歌に見られるように、時間を表す「間」、空間を表す「間」、そして時間と空間の両方を内包する「間」という、様々な意味合いで「間」が使われている。
9番 小野小町「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
19番 伊勢「難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや」
53番 右大将道綱母「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」
57番 紫式部「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」
79番 左京大夫顕輔「秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ」
時間を表す「間」は作者自身の主観的な時間の流れや、客観的な時間の経過を表す「間」がある。空間を表す「間」は、空間のスケールが「芦の節」と「雲」で大きく違うことに気づいた。19番の時間と空間の両方を内包する「間」は時間的な短さと同時に空間的な狭さをも含意する、非常に示唆に富んだ「間」の表現である。
時間と空間は時に唯一無二の存在であったり、複数存在したりと、その在り方は可変的である。これらの「間」は、作者の心象によって伸び縮みする時間であり、また、時には掌に乗るほど小さく、時には無限に広がる空間でもある。その在り方は一つではなく、観る者の視点によって、あるいは体験によって変化し続ける流動的なものである。
本作品では、そうした時間と空間を表す「間」を、鑑賞者に観測してもらうことを意図して制作した。
2025.5.24
Spacetime ruler Series
My works in this exhibition draw inspiration from various expressions of "Ma" (間) as it appears in the classical Japanese anthology, the Ogura Hyakunin Isshu.
The Ogura Hyakunin Isshu employs "Ma" in various senses: as representing time, as representing space, and as encompassing both time and space.
Examples include:
No. 9, Ono no Komachi: "I have loved in vain and now my beauty fades like these cherry blossoms paling in the long rains of spring that I gaze upon alone."
No. 19, Ise: "Are you saying, for even a moment short as the space between the nodes on a reed from Naniwa Inlet, we should never meet again?”
No. 53, Ube Daishō Michitsuna no Haha: "Someone like you may never know how long a night can be, spent pining for a loved one till it breaks at dawn."
No. 57, Murasaki Shikibu: "Just like the moon, you had come and gone before I knew it. Were you, too, hiding among the midnight clouds?"
No. 79, Sakyō no Daibu Akisuke: "Autumn breezes blow long trailing clouds. Through a break, the moonlight― so clear, so bright."
–––Quoted from "One Hundred Poets, One Poem Each” Peter MacMillan 2017
“Ma” representing time can signify the artist's subjective experience of time or objective passage. "Ma" representing space can vary greatly in scale, from the "nodes on a reed" to "clouds." Poem No. 19's "Ma" is particularly evocative, implying both temporal brevity and spatial narrowness.
Time and space can be one and only or plural; their existence is fluid. These expressions of "Ma" depict time that stretches and shrinks according to the artist's inner world, and space that can be as small as one's palm or infinitely vast. Their nature is not singular; they are fluid, continuously changing based on the viewer's perspective and experience.
These works were created with the intention that viewers observe these expressions of "Ma," representing time and space.
24 May 2025
窓/鏡 窓あるいは鏡
窓や鏡は、時間、空間、人間、それぞれの内と外とをつなぐ、狭間の装置である。窓も鏡も、外界と内面へ開いたモチーフである。窓はより外界を、鏡はより内面を意識させる。窓や鏡を介して存在する、時間、空間、人間の「間」を表現した。 窓からは、光、風、温度、湿度、外界からの情報が入ってくる。部屋の中で、時間、空間、人間に作用して、人間は時間を長く短く感じたり、空間を広く狭く感じたりする。鏡を見ると、鏡を挟んで、いま現在の時間と鏡に映った少し前の時間、自己のいる空間と鏡の中の空間、自己と自己の鏡像がある。自分と他人から見える鏡の中は条件や認識によって異なる。それにより、さらに多くの時間、空間と人間の「間」が現れる。 制作では、窓と鏡をモチーフとして時間、空間が織りなす「間」を表現するために、木製パネルの上に和紙とベニヤ板の積層して基底材にした。連なり点在する「間」を表現するために、層を意識して基底材を彫って、胡粉や金泥を重ねていったり削ったりした。 「間」の表現を通じて、鑑賞者が自己の内面の深さと外界への広がりを感じること、外界が形作る自己の存在を観測することを目指している。自己の存在を確かめることをきっかけに、不確実で予測不可能な現代を生きていく鑑賞者の力になることを期待している。
2025.3.15
in/out 日本の美意識に潜む「間」の探究
この作品は、日本文化に深く根ざす「間」という概念の内と外、その曖昧な境界を探求するために制作した。『枕草子』の「春はあけぼの」における「山際」と、「秋は夕暮れ」における「山の端」という表現から着想を得ている。私たちはこれらの言葉に触れるとき、山と空の境目を意識する。しかし、本当の境はどこにあるのだろうか?物理的に見れば、山の木々の葉が空気と接する、まさにその瞬間こそが境界であり、さらにミクロな視点では、葉も空気も分子や原子といった粒子で構成されている。この連続性の中にある、わずかな「あいだ」にこそ、私たちが普段意識しない境目が存在する。この作品では、そうした物理的な境界の考察を起点とし、さらに抽象的な「時間」と「空間」が織りなす「間」の内側と外側を探求する。 この繊細な「間」の境界を表現するため、素材には和紙と墨を選んだ。これらの画材が持つ豊かな素材感と歴史的な奥行き、そして和紙の隙間と墨の滲みによって生み出される広がりが、「間」の曖昧さと奥行きを表現するのに最適だと考えたからである。また、「間」の内と外、あるいは対となる概念を視覚的に提示するため、作品は二幅対として構成されている。これにより、鑑賞者は二つの絵の間にある空間や関係性をも含めて、目には見えない「間」の概念を深く考察することができる。 本作品を通じて、鑑賞者の共に「間」の内側と外側を探り、その多義的な意味について考察を深めたい。この探究は、日本の美意識の根幹をなす「間」という概念、ひいては私たちが世界をどのように認識しているのかという美的な真理に迫る試みでもある。この作品が、新たな発見へと誘う扉となることを願っている。
2025.3.23
mado 窓と「間」の表現
この作品は、禅語の「色即是空・空即是色」から着想を得ており、窓をモチーフにしている。窓は単なる物理的な開口部ではなく、時間、空間、そして人間の「内と外」を結びつける「狭間の装置」として捉えられる。外界に開かれた窓を通して、私たちは自身の内面と、その外に広がる世界との連続性を意識する。窓を通して流入する光、風、温度、湿度といった外界の情報は、部屋の中にいる私たちの時間感覚や空間認識に深く作用する。例えば、私たちは同じ時間であっても長く感じたり短く感じたり、あるいは同じ空間であっても広く感じたり狭く感じたり、重く感じたり軽く感じたりする。この作品では、これらの見えない情報が織りなす「間」を表現している。
「間」の表現には、ステンレスと紐を用いている。時間と空間が織りなす「間」の複雑さや重層性を表現するために、ステンレスを重ねて使用している。これは、目には見えない要素が積み重なって、私たちの知覚を形成している様子を示唆している。窓から入る光の色や、温度、湿度といった、視覚では捉えにくい情報を表現するために、組紐を取り入れている。組紐は、繊細でありながらも確かな存在として、感覚的な情報の移ろいやその存在感を象徴している。
この作品は、「間」という概念の表現を通じて、鑑賞者に以下の問いかけを促す。
・自己から外界への広がり:窓を通して外界が自己の内側に流れ込み、自己が外界へと広がっていく感覚。
・外界が形作る自己の存在:外界からの情報が、いかに私たちの時間、空間、そして自己の認識を形成しているのか。
鑑賞者がこの作品と向き合うことで、深く思索し、自身の存在と外界との間に存在する、深淵で繊細な「間」を感じ取ってもらいたい。
miroir 鏡が映し出す「間」
鏡の前に立った時、何を見出すだろうか?この作品は、メルロ=ポンティの『眼と精神』における鏡像の概念から着想を得ている。鏡をモチーフとし、それが単なる反射板ではなく、時間、空間、そして人間の内と外を結ぶ「狭間の装置」としての役割を果たす。窓が外界への広がりを示すのに対し、鏡はより強く内面への意識を促す。私はこの作品を通して、鏡を介して立ち現れる時間、空間、そして人間存在の「間」を表現した。
「間」の多層性:鏡を見るという行為は、複数の「間」を同時に生み出す。
・時間の「間」今現在の時間と、鏡に映し出されたわずかに過去の時間。
・空間の「間」自己が立つ現実空間と、鏡の中の虚像空間。
・人間の「間」自己と、その鏡像としてのもう一人の自己。
さらに、自分自身と他者から見た鏡像は、見る者の条件や認識によって異なるという性質も、「間」の多様性を広げる。これらの多層的な「間」が織りなす関係性を、作品を通して視覚化した。
鉄による時間の積層と空間の表現:制作においては、この時間と空間が織りなす「間」を表現するために、鉄を重ねるという手法を用いた。複数の鉄の層は、時間の積層と、異なる空間の存在を示唆している。また、鏡が持つ連結機能を象徴するように、作品はフレーム状の形態をとることで、外界と内面が繋がるさまを表現している。
この作品は、「間」の表現を通じて、鑑賞者が自身の内面の深さと存在を改めて感じることを目指している。鏡を通して自己の存在を確かめる経験が、不確実で予測不可能な現代を生き抜くための、ささやかながらも確かな力となることを願っている。
鏡について
窓や鏡は時間、空間と人間の内と外とをつなぐ装置である。
鏡の前で歯を磨いて、顔を洗って、髪を梳かす。
朝の支度で鏡を見る。自己と鏡と鏡像がある。
鏡像は物体が左右反対に映るとしばしば認識される。
しかし、自分、鏡、鏡像の縦の層で考えると前後反対に映っているようにも認識できる。
時間と空間があって自分が存在する、そして、鏡を挟んで、鏡像が存在して時間と空間がある。
外界から自己へ、そしてまた外界へとつながる。
鏡は自己の内面や外面を映すのみならず、おもしろい装置だ。
鏡を見ると、時間、空間、人間のそれぞれの「間」に気づく。鏡を挟んで、いま現在の時間と鏡に映った少し前の時間、自己のいる空間と鏡の中の空間、自己と自己の鏡像がある。
自分と他人から見える鏡のなかは条件や認識によって異なる。
それにより、さらに多くの時間、空間と人間の「間」が現れる。
モーリス・メルロ=ポンティ著『眼と精神』により、鏡の機能について以上を思考した。
自己の心身から、いま現在、存在している私を原点Oとして観測した。
鏡という物を見て、感じ取り、考え、表した。
2024.2.3 本とアートの対話
miroir
この作品は、メルロ=ポンティの『眼と精神』の「鏡」に 関するの文章から発想したものである。作品タイトルは、彼の故郷であるフランス語の「鏡」による。
枠に向かって立つ行為から鑑賞者自身の姿を想起することもあるだろうし、穴のように捉えて周りの風景を見ることができると受け止めるかもしれない。 作品を通して、人間の存在を浮かび上がらせる。
miroir
This artwork was inspired by Merleau-Ponty's text on "The Mirror" in his book "The Eye and the Spirit". The title of the artwork is derived from the French word "mirror," which is his native language.
The act of standing facing the frame may remind the viewer of his or her own image, or it may be perceived as a hole through which the viewer can see the scenery around him or her. Through this artwork, I brings to light the existence of human beings.
街について
耳、鼻、口、目、皮膚。
どの感覚器官からの情報が最後まで記憶に残るだろうか。
マスクを外すと、空気を吸っていると改めて気がついた。
匂いが意識され、感覚器官の存在を強く感じた。
体の表面にある感覚器官は人間の身体から凸状で、表面積を増やして情報を集めている。
私たちは、感覚器官から街を記憶する。
街に立つ私たち自身も、街の感覚器官のようである。
街を構成する時間、空間、人間を表現した。
2023.6.10
About the street
Ears, nose, mouth, eyes, skin.
From which sensory organs will the information be remembered till the end?
When I took off the mask, I realized again that I was breathing air.
I was conscious of the smell and strongly felt the presence of the sensory organs.
Sensory organ
s on the surface of the body are convex from the human body, increasing the surface area and collecting information.
We remember cities from our sense organs.
We ourselves, standing in the city, are like the sense organs of the city.
June 10th, 2023